イラクのこと。

2003年12月1日
イラクで日本人大使館員2人が殺害された。
奥参事官は、
「テロとの闘いに決して屈してはならない」と
外務省のHPに持っていた連載に書いていた。
彼は、大変優秀な中東問題のスペシャリストで
あったとか。
それなら、とちゃめは思う。
この言葉の意味は、耳タコなくらい聞かされてる
首相の同じ台詞と、意味まで同じなのかなって。


テロに屈しない=テロを暴力で殲滅する
なのであれば、ニワトリか卵状態でどちらも同罪、
そりゃ理論上は先に攻撃を仕掛けた方が
テロリストって事だろうけどそれを言えば
「大義のないまま」戦争を仕掛けたアメリカが
一番のテロリストになってしまう訳で。

この参事官さんと、もう一人の書記官さんは、
日本政府の方針に満足しておられたんだろうか。
今の状態で自衛隊を派遣することに
賛成しておられたんだろうか。

なんだか・・・
このまま、
同じ日本人がテロによって殺されて
それなのに「テロリスト」を許せるのか?!
強い態度でテロに立ち向かわなければ!
ってふうに、「何か大きな力で」どんどん
世論が形成されてってしまったらどうしようと、
ものすごく不安を感じる。

確かに、イラクの一般の人たちを思えば、
一刻も早く人道的支援に駆けつけて
日常生活の不便を出来る限り解消してあげたいし
そのために日本が自衛隊を派遣するのであれば
本来は反対する人なんかいないと思う。
なのに
こんなにも不安で、何かが間違ってる気がするのは
一体何故なんだろう。

*そもそもイラク戦争を始めた経緯の不透明さ。

*その不透明を不透明のままに支持決定した
日本政府の不透明さ。

*度重なる小泉首相はじめ政府の、まるで茶番の
ようなコメント。

*国会議論の場での多数の議員の、深刻さのカケラもない様に見える笑い顔。

自衛隊という存在の定義のあやふやさと
これまで先送りしてきた様々な重要議論と
そして究極は、今の政府が、
自衛隊派遣に伴う危険を、
隊員にとっての危険としてではなく、
自分達の政権にとっての危険としてしか
認識していないことが、全てにおいて
透けて見えるからなんじゃないだろうか。


人間て、弱い。
日々、生きていかなければならないから、
人生は妥協や諦めの連続。
「戦争」なんていう状況下では、
なおさら個人の考えや想いなんて
簡単に弾き飛ばされてしまうだろうし
事実、過去がそうであったと、私達は学んでる。
だからこそ、
亡くなられた大使館員の遺族の方や
これから派遣されるかもしれない自衛隊員と
家族の方の声が、本当はどう感じているのかの
心の声が、発せられる日本であって欲しいし
伝えられる日本であって欲しい。
この先、もっと多くの国と国民を巻き込んだ
悲劇が起こってしまわないためにも。


それから・・・
中東情勢を思うときいつも
「ユダヤ教」「イスラム教」「キリスト教」の
3つの宗教の、教えと目指すものの違いを
考えてしまう。
どうして、宗教観の違いからの見方を
判りやすく解説してくれる報道が少ないんだろう。

何千年もの間、それぞれの教義を代々伝え信じて
きた歴史を考えると、無宗教の私なんかは
気が遠くなると同時に、それほど重要なんだから
ここが理解できれば(理解できるのか?!)
なにか解決への糸口が見えてくるんじゃ??
って、いつも考えてしまうのよね・・・。

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