京都は今、「源氏物語千年紀」ってことで、
そこここに観光ポスターやら何やらが溢れ、
ゆかりの観光スポットも賑わっているようですが。

ちゃめにとっての源氏物語と言えば、
何をおいても大和和紀さんの「あさきゆめみし」を置いて他にはありません♪
後は、ずいぶん以前に読んだ田辺聖子さんの現代語訳、
尾崎左永子さんの「源氏の四季」や「源氏の薫り」などの関連本・・・。
だから例えば「紫の上」「夕顔」など登場人物の名前を聞くと
すぐに「あさきゆめみし」でのキャラクターの顔が浮かんでしまいます^^;;

続々と刊行されているこの千年紀を記念した本や雑誌、
そうした中で大和和紀さんが、ご自分の「あさきゆめみし」には、
原作にないシーンや、わかりやすいよう、またはこうあって欲しいと
思うようにある程度脚色したり、設定を変更したりしている部分もあるので、
これを「源氏物語」そのままだとは思わないで欲しい、
とおっしゃっているのを先日読みました。
「へぇー、そうだったんだ~」とは思いながらも、
でも「あさきゆめみし」、本当に何度読み返しても素晴らしい作品です。

昔も今も、一番憧れるのは「朧月夜の君」です。
華やかに美しく、自分の欲望に素直で強く、別れも自分から潔く・・・。
こうはなりたくないと思うのは「女三の宮」。
まだ若すぎて、恋愛に疎いのは仕方のない部分もある設定の人だけれど、
何事にもボォーッとした感のある人で見てるとイライラする(笑)
(あくまでも「あさきゆめみし」から、ちゃめが受ける印象ですが)

でもね・・・。
今、また改めて読み返していると、「恋愛に疎い」ということを
「本当の恋愛を知らない」という意味だと捉えれば、
ちゃめだって、本当の恋愛なんて果たして知ってるのか??
自分の生涯で、知ることがあるんだろうか???なーんて、思ってしまう。

深く考えずに夫以外の男を受け入れてしまう・・・。
それは、後先考えずに欲望に流されたわけでもなく、
自分を求めてくれる情に絆されたわけでもなく、
ただただ拒みきれなかっただけ、という女三の宮ではあるけれど、
なんだか微妙に、馬鹿にはしきれない何かを感じてしまいました・・・。

想っても想っても手の届かないあの人には、うん・・・あの人だけには、
「花散里の君」のような存在でありたい。
この人の立場も憧れですね。

こうして考えてみると、
女っていうのは、源氏物語に出てくる全ての女の人を
自分の中に少しずつ、皆持っているような気がします。
それがきっと、こんなにも長く読み継がれている理由の一つなのかもしれません。
これから冬に向けて、谷崎潤一郎訳を読んでみたいちゃめです。

この秋から、アニメにもなるそうですね。
声が入るとでも、またイメージが変わりそう。


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