大好きな人が生きられる時間が、もう僅かしかないと知ったら。
知った本人が自暴自棄になっていくのを、そばで見ているしかなかったら。

夫の闘病を支え、折れそうになる心を必死に励ましながら、
それでも明るく振舞う彼女から、
私は日々、いろんなことを感じ、学んでいる気がする。
学ばなくちゃならないんだと思う。

なかなか会えないけれど、メールや電話で話せる時には
その度に、電話での細かい声の調子やメールの顔文字1つに
私のさまざまな気持ちが交錯する。
今彼女がどんな思いでいるのか、
どうしてそんなふうに落ち着いて見えるのか、
その強さはどこから来るのか、
もし私だったら、私はあなたのように強くいられるのか・・・。

今が、あまりにも、あまりにも辛く大変な状況で、
その分、その状況にない私の方が、あなたが感じている暇のない
あらゆる負の感情を、かえって感じてしまうのかもしれない。
辛い、悲しい、寂しい、厳しい、耐えられない・・・
人が持つ不思議な「心の防衛本能」のようなものが、
そんな感情に流れそうになる気持ちを、
一時、凍りつかせているのかもしれない。


そんなことを考えていたら今朝、
朝日新聞の「声」欄に掲載されていた女子高生のある言葉が、
私の心に響いてきました。

「波打ち際に残した足跡が波にかき消されるのを止めることができないように、
 私1人の力ではどうにもならない。ただ悲しみにくれるばかりなのだ。」

認知症を患われた彼女のお祖母さまから、二人一緒に過ごした思い出が
薄れていってしまう・・・その耐えられなさを綴ったものです。


人生には、人の力ではどうにもならないことがある。
「痛感」しました。

死を受け入れる心。
死を恐れ抗おうとする心。
抗う心すら持てなくなる失望の心。
怒り、悔い、悲しみ。
そういう人を受け入れようとする心。
叱咤激励する心。
愛する人を失う悲嘆、恐怖。
将来への不安。
怒り、悔い、悲しみ。

彼の心。
彼女の心。

私の心。

楽しい時も、辛い時も、
人は、死ぬまで、生き続ける。

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