子どもがいない夫婦にもそれぞれにたぶん理由があって、
欲しかったけれど恵まれなかった、
赤ちゃんが無事に生まれてくることができなかった、
何らかの理由で諦めざるを得なかった、
お互いの合意の元で作らなかった、などなど…
ちゃめの場合は合意の元で作らなかったタイプです。

一番古い記憶は、小学校低学年か中学生の時。
女の人は結婚していい家庭を作り、いいお母さんになることが
世間的にまだ多数意見だったろう頃、
朝礼で校長先生が、そういう良妻賢母、的なお話をなさったことがあって。
結婚は、自分の中でイメージできたし、いつかしたいな、するんだろうなと
思ったのだけれど、お母さんになることに対しては、
全くもって興味がなく、イメージもできなかった。
自分は、結婚はしたとしても子どもは作らないだろうなという
確信めいた思いを当時すでに、持っていました。

その思いに何の変化も迷いもなく、
いろいろに恵まれてここまで幸せに来たちゃめ。
最近、身近で赤ちゃんの話題が続いたこともあり、
そういえば、どうして自分は、ここまではっきりしっかりと
「興味がない」のだろう、という疑問が頭をもたげてきたのですよね。

比較したりする対象とは違うのかも知れないけれど、
いわゆるLGBTの人たちと同じ感じで、
そもそも本能的なところで?感じ方が違うのかな?とか。
「女性でも、母性本能のない人というのはいるんだよ」とは、
産婦人科で専門医をしている友人の言葉だけど、
うーむ、母性本能か・・・そうだな、ちゃめのは専ら男性に向いてるかも(笑)

そんななか、先日生まれたばかりの赤ちゃんとご対面する機会がありました。
やっぱりね~~~超ぉぉぉぉ~~~~~~~~可愛らしかった♪♪
こうして改めて考えるようになってからのご対面ということで、
自分の心に何か響いてくるものがあるかな?と
自分で自分に興味があったのですが・・・

少し経ってから、ふと浮かんだのです。
自分には、子どもを産んで育てるという以外の、
何かしら違う「役割」みたいなものが、
もしかしたら割り振られているのかも知れない。
だから興味がそこに向かなかったのかも知れないなって。

日々、生きている、過ごしている時間の中で、
知らず知らずその役割を果たしているのかも知れないし、
これから先、果たすことになるのかも知れない。
何にせよ、これからも自分らしい幸せを感じられる毎日を、
様々なことがある中でも穏やかに、過ごして行けたらいいなと、
思い、願っているちゃめです。

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